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2010_09
11
(Sat)11:18

妙義神社・川中島古戦場・諏訪大社

日光旅行2日目妙義神社にやってきました。
妙義神社は群馬県富岡市妙義町妙義にあり、関越・上信越自動車道 松井田・妙義ICから5分ほどのところです。

奇岩の景勝地である妙義山の東麓に鎮座する、妙義山信仰の中心となる神社です。
妙義山のギザギザに尖った形は、典型的な火の気を表し、権威・威厳の気があります。
妙義神社は妙義山の上昇の気を受けた、上昇運・生命力をもたらすパワースポットだそうです。

妙義神社
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総門(仁王門)
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関東一の壮大さを誇る、鮮やかな朱色の総門。
高さ12メートルで切妻造りの八脚門。
国指定重要文化財です。

仁王
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浅間山
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浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の標高2,568mの成層火山です。
その雄大な姿にしばし見とれてしまいました。



懐古園は白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の跡です。
小諸城は、全国的にも珍しい城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。
また、文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」でも知られる信州の名園となっています。

小諸城址 懐古園 けや木
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樹齢500年といわれるケヤキの大樹


八幡原は5度にわたって繰り広げられた信玄と謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年の戦いの舞台となった場所です。
ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助ら勇将が戦死しました。
史跡公園の松林の中には古くからの八幡社が静かにたたずみ、境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚などがあります。

川中島古戦場
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川中島古戦場 八幡社
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武田信玄と上杉謙信 両雄一騎討
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諏訪大社下社秋宮は長野県諏訪郡下諏訪町にあり、春宮から東へほぼ1kmの地点で、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しています。

諏訪大社下社秋宮
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身長1.70m、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保六年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。

孝の狛犬
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忠の狛犬
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身長1.70m、青銅製では日本一と言われる狛犬です。

竜神の手水鉢
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霞ヶ城址は 現在ホテル山王閣の建っている場所にあり、古くから「山王台」と呼ばれた台地です。
鎌倉時代のはじめ手塚光盛が山城を築き、日常も居館を兼ねたと考えられています。
台上に山王社があり、近江の日吉神社を勧請したことから山王台の名が生まれた。
秋宮を尾根の背に新造し、神社から舌状にのびる台地に霞ヶ城を造って体制を整え、湖北を支配する拠点にしたそうです。
諏訪大社下社秋宮の隣のホテル山王閣の駐車場に金刺盛澄の銅像があります。

霞が城跡 金刺盛澄の銅像
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金刺 盛澄は、平安時代後期の諏訪大社下宮の神官・武士で、藤原秀郷流弓術を継承する名手でした。
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2010_09
10
(Fri)11:00

日光

足尾銅山から中禅寺湖に向かいます。

馬返から中禅寺湖へ向かう第二いろは坂をくねくねと上って行く途中に明智平があります。
駐車場に車を止め『パノラマレストハウス』で昼食を食べた後、明智平ロープーウェイに乗って展望台を目指します。
所要時間は約3分ほどで、明智平展望台に到着しました。

明智平展望台より
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明智平展望台からは華厳の滝・中禅寺湖・男体山が見え自然の雄大さに感動しました。



戦場ヶ原
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『戦場ヶ原』と聞いて戦国時代の古戦場跡を連想していましたが、実は神話から名前がつけられたとか。
下野国の二荒神(男体山)と上野国の赤城神(赤城山)が中禅寺湖を巡る領地争いが原因で、大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるということから『戦場ヶ原』という名称になったそうです。

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男体山のふもとに広がるほぼ平らな湿原の景色は確かに神が戦った土地であるかのようでした。

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日光二荒山神社中宮祠
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二荒神社中宮祠は中禅寺湖湖畔にあります。

☆EPOのミラージュ紀行☆
『炎の蜃気楼』小説『覇者の魔境』後編106ページより。
成田譲が木縛された御神木が境内にあるはずなので真剣に探してみました。
これかなという御神木にしがみついてパワーをもらってきました。

二荒山神社 男体山登山口鳥居
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二荒神社の境内で霊験あらたかな御神水のペットボトルが売られていたので買いました。
大事に持ち帰り冷蔵庫に大切に保管してあります。
体調を崩した時に飲んで復活しようと思います。


華厳の滝
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エレベーターで滝つぼの展望台まで降下しました。
中学の時の修学旅行先だった日光が、前年度の生徒が華厳の滝で集合写真を撮ったところ霊がい一緒に写りこんだとか、戻ってきてから霊に祟られたとか噂が広がり、それが原因か定かではないのですが、私たちの学年からスキー研修にとって変わってしまいました。
そんなこんなで、はじめての日光華厳の滝です。
うわさとは裏腹にマイナスイオンが立ちこめ、神仏が宿るような神聖な空気を感じました。

☆EPOのミラージュ紀行☆
『炎の蜃気楼』小説『覇者の魔境』前編115ページ
「いいかげんに見たくない顔だな、高坂」
「貴様とはいちいち妙なところで出会うな、直江。これも天の導きというやつか?
ほう。今日は女の方とごいしょですか。お珍しい。いつもあなたがつれ歩いている飼い主殿は、いかがなされたのです?」
ここが直江と高坂がお話した華厳の滝の観瀑台なのね。
ちょっと興奮。

東照宮
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石鳥居
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阿形の仁王像
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上神庫 想像の像
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陽明門
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左大神
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矢大神
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唐獅子
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吽形の狛犬
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阿形の狛犬
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鋳抜門
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奥宮拝殿の背後に鋳抜門が見えてきます。
扉を除いて、柱や梁などを一つの鋳型で作ったことから鋳抜門と呼ばれているそうです。
門前の石段の上の両サイドには、りりしい狛犬がにらみをきかしてしっかり門番を務めていました。
門の上の袖のところには、口からなにか吹き出した不思議な霊獣が(写真では解りにくいのですが)・・・・これは『蜃』という名前で、ツバメを食べ、気を吐き、楼台城郭を描き出すという蜃気楼の蜃だそうです。
後日調べてちょっと運命を感じてしまいました。

☆EPOのミラージュ紀行☆
え~蜃気楼だって口から吐いた気は当然炎じゃないの?。
それって『炎の蜃気楼!』

奥社宝塔
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鋳抜門の更に奥にやっと宝塔が見えてきました。
宝塔に納められているのは家康公の神柩であり、建立以来一度も開けられたことがないそうです。

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本物だ!これがそうなのね。
と手を合わせながら感激してしばらく物思いにふけってしまいました。
今にも宝塔から光が燦燦と輝きだしそう。

☆EPOのミラージュ紀行☆。
『炎の蜃気楼』小説『覇者の魔境』後編145ページ 千秋が家康相手になんとか踏ん張ってあがいているシーンですよね。
影虎のつつが暴れて、さらに謙信様(影虎)まで現れて・・・
 
小説の世界にどっぷりつかりながら、感動の嵐で気分もハイテンション。
ず~と来てみたかった聖地に訪れることが出来て、幸せをかみしめながら日光東照宮をあとにします。
2010_09
10
(Fri)08:58

足尾銅山

日光旅行で、最初の観光です。

足尾銅山は栃木県日光市足尾町通洞にあり、日光ICより約30分ほどのところです。
400年の歴史をもち、かつては日本一の鉱都と呼ばれ大いに栄えた足尾銅山の坑内観光施設です。

足尾銅山
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朝早く着き過ぎて一番乗りでした。
ほぼ貸しきり状態です。

トロッコ電車
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トロッコ電車に乗って全長700メートルの坑道にむけて出発です。

3t電気機関車B形No.47と1t箱形坑車
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トロッコに乗って薄暗い坑道に入って200メートルほど行くとトロッコ降車場に到着します。
トロッコは引き返して行ってしまうので、そこからは徒歩で進んで行きます。
坑道内には鉱石採掘の様子が年代ごとにリアルな蝋人形で再現されているのでのんびり写真など撮りながら歩けますが、薄暗いのでちょっとぶきみかも。
展示もあって出口まで来る頃にはいろいろ学べます。

展示品が並ぶ坑道トンネル
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もうすぐ出口です。

通洞抗
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1t箱坑車
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トロッコ電車に乗っての坑道内に入るとなんとなくインディージョーンズを連想して冒険心をくすぐります。
また、坑道内のリアルな蝋人形を見ることで鉱石採掘の様子がよくわかり、なかなかおもしろい体験ができました。