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2019_07
27
(Sat)19:41

秋田 『出羽三山神社』

夏休みに入った今週一週間は死ぬほど暑かったです。
身体が暑さに慣れてないのと急激な気温の上昇で、身体はよれよれ状態でした。
仕事から帰ると水風呂につかり火照った体を冷やします。
頭蓋骨まで熱を持っていたとゆうことは、脳みそは中で沸騰していたのでは?
暑いのと、忙しいのと、仕事中はボケボケでした。

土曜日は台風接近で心配でしたが、温帯低気圧に変わりやれやれです。
台風の通り過ぎた日曜日は良く晴れ、じりじりと太陽が照り付け、外にいるだけで汗がしたたり落ちるほどでした。

今日28日、名古屋地方気象台は東海地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。
平年より7日遅、昨年より19日遅い梅雨明けです。
いよいよ夏本番ですね。
東海地方は向こう一週間は良く晴れ、体に堪える厳しい暑さが続くそうです。
さらに最低気温は25度を下回らない日がほとんどで、寝苦しい夜も続くらしいです。

予報を聞いただけでうんざりです。
皆様も熱中症対策に万全を期し、水分補給、休憩などを心がけて、体調を崩さないようにお過ごしください。


さて秋田旅行の続きです。
旅行も3日目となりました。
15日月曜日秋田旅行最終日です。
本日も朝食バイキングをことわり、写真だけ撮らせてくださいと頼み込んで撮った写真です。

『ホテルアイリス』の最上階のレストランより
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並んだ風車

エレベータ付近にあった虎と龍の屏風
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鳥海山
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風車
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どうしても並んだ風車が撮って見たかったのですが、移動途中では残念ながら、良い景色にめぐりあえませんでした。

秋田県にさよならして山形県に入り、目的地出羽三山神社に近づいてきました。
出羽三山神社は山形県鶴岡市羽黒町にあり、山形自動車道鶴岡ICから鶴岡・羽黒線経由で約10kmです。
大きな鳥居が見えてきました。

羽黒山大鳥居 
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一の鳥居は鶴岡から羽黒橋を渡り、庄内平野を横切って、羽黒街道が羽黒丘陵にかかる景勝の地にあります。
昭和4年に山形市の吉岡鉄太郎氏が寄進した大鳥居が立ちましたが(高さ20m、幅15m、東北一の大きさを誇る朱塗りの両部鳥居)、老朽化のため建て替えられました。
新たに築かれたのは出羽三山神社が3億円をかけた鋼鉄製で高さ23.8m、笠木の幅が31.6mと従来よりひとまわり大きくなったそうです。(上部の扁額はそのまま掲げられています。)

車であっという間に通り過ぎるのでじっくり見られませんでしたが、道路わきに車を停めて鳥居の柱のところで写真を撮っている人を見かけました。
たいそう立派な鳥居です。

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出羽三山神社
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出羽三山神社 随神門周辺案内図
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随神門
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随神門はこの広い神域の表玄関で、随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がっています。
明治時代までは仁王門と呼ばれ、仁王尊が祀られていました。
元禄8年(1695)由利郡矢島領主生駒讃岐守が、家運繁栄と極楽往生を祈って寄進したものです。

明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けられました。
門に祀られる随身は櫛石窓神と豊石窓神で、門から侵入する災厄・疫病などを除く神が剣と弓矢をもって鎮座しています。

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天拝石
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この奇石を通し天を祭ったもので、その昔修行者の行法を行った場所の石といわれています。

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羽黒山の石段
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慶安(1648~)の前後13年の歳月を掛て、天宥別当が一の坂下の大直日神社から八幡神社の上までの約1.2kに石段を築きました。
かつて観音菩薩を祀った由緒から石段には33個の彫り物が刻まれ、すべて探せば大願が成就するともいわれています。
山頂までは約1時間ほどだそうです。
今回は時間がないのでパスしました。

末社羽黒山天地金神社
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随神門の右手前にある朱塗りのお社で、応永4年学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)再興されました。
もとは『元三大師像』を御本尊としてお祀りしたので大師堂と称していましたが、昭和39年、須佐之男命をお祀りし、天地金神社となり現在に至っています。

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白い柱に巻き付いている竜神が目を引きます。

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出羽三山神社の由緒
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月山、羽黒山、湯殿山を総称して出羽三山といいます。
推古元年(593年)、第三十二代崇峻天皇の皇子蜂子皇子開山です。
この山は元来自然崇拝山岳信仰の古神道から発したもので、明治維新までは神仏習合の山として栄えていました。
明治以降神山となり、羽黒山は稲倉魂命、出羽大神、月山は月読命、湯殿山は大山祇命、大国主命、少彦名命の三神が祀られていますが、開山以来、羽黒派古修験道も継承されているそうです。

羽黒山のスギ並木
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国特別天然記念物に指定。
随神門から羽黒山頂までの1.7kの参道の両側に立ち並ぶ杉並木で、右側284本、左側301本の総数585本。
推定樹齢300年から500年を超える老杉で、慶長初期から寛永(1596~1643)にかけて第48代宥源・第49代宥俊・第50代天宥の3代に亘る別当が十数年の歳月をかけて植林したものです。

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継子坂
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下に続く石段に沿って杉並木が両側に広がっていきます。

随神門から続く石段が下る場所を継子坂といいます。
継子坂には一つの悲しい話が残されているそうです。
ある女が幼い我が子をこの付近に捨てたのですが、子供は母を探し、石段に小さな足跡を残したというのです。

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空気が澄んで、神聖な気が漂っているように感じました。

継子坂の石段を下まで降りると参道の両サイドには末社(本社に付属する小さな社)が点在しています。
写真を撮りながらひとつひとつ参拝していきました。

磐裂神社(いわさくじんじゃ)
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祭神 磐裂神(いわさくのかみ)
神格ー剣の神・生命力の神
神徳ー生命力向上

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根裂神社(ねさくじんじゃ)
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祭神 根裂神(ねさくのかみ)
神格ー剣の神・生命力の神
神徳ー生命力向上

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五十猛神社(いたけるじんじゃ)
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祭神 五十猛神(いたけるのかみ)
神格ー木種の神・材木の祖神
神徳ー造船・豊魚・航海安全・商売繁盛・海運招福・疫病退散

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大年神社(おおとしじんじゃ)
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祭神 大年神(おおとしのかみ)
神格ー農業神・穀物神
神徳ー五穀豊穣・産業隆昌・家内安全・開運招福・除災招福・夫婦和合・縁結び

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天神社(てんじんじゃ)
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祭神 少彦名神(すくなひこなのかみ)
神格ー穀物の神・医薬の神・温泉の神
神徳ー国土安穏・産業開発・病気平癒・漁業守護・航海安全

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豊玉姫人神社(とよたまひめじんじゃ)
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祭神 豊玉姫神(とよたまひめのかみ)
神格ー海の神・水の神
神徳ー安産・子孫繁栄・農業守護・漁業守護・航海安全

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神橋
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随神門より継子坂を下りると祓川に掛かる神橋に出ます。
朱塗りの美しい神橋は浸蝕谷にかかり、向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と相対して、その景観は清々しく美しいです。
三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についたそうです。

須賀の滝(すがのたき)
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滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けたそうです。

神橋
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下居社(おりいしゃ)側から見た景色。
まさに神の神域ですね。
橋の下は祓川が流れています。

下居社(おりいしゃ)
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祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)
祭神 天照皇大神(あまてらすすめらおおみかみ)
祭神 天八降神(あめのやくだりのかみ)
祭神 句々延馳神(くぐぬちのかみ)
祭神 彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
祭神 水波女神(みずはのめのかみ)

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それにしても神様の名前は誠に読みずらいですね。

岩戸分神社(いわとわけじんじゃ)
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祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
神格ー力の神・技芸の神
神徳ー技芸上達・スポーツ向上・厄除け

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不動明王像
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須賀の滝(すがのたき)
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祓川神社(はらいがわじんじゃ)
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祭神 瀬織津比咩神(せおりつひめがみ)
    速川の瀬に坐して罪穢れを大海原に放つ神
祭神 速開津比咩神(はやあきつひめがみ)
    潮の寄る所に坐して罪穢れを呑み込む神
祭神 気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
    気の活発な所に坐して罪穢れを地底に吹き放つ神
祭神 速佐須良比咩神(はやさすらひめがみ)
    地底に坐して罪穢れを祓い捨てる神

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国天然記念物 爺杉
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樹齢約1千年以上

羽黒山の爺スギ
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樹齢推定1000年以上・根周り10.5m・幹囲8.25m
羽黒山で最大最古の巨木。
付近に婆スギがあったが明治35年の暴風に倒れました。
婆スギがいなくて、なんだか爺スギ淋しそうですね。

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国宝羽黒山五重の塔
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五重塔(国宝)
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人通りが途切れたところを狙って撮ったのですが、人が写ってしまっていました。
隣で写真を撮っていた男性の奥さまでしょうか?
しっかりカメラ目線はこちらでです。

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右側面
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御大典奉祝・三神合祭殿再建200年記念で国宝羽黒山五重塔の内部が拝観できるようになっていましたが、時間の都合上取りやめました。
何時も大事なところで時間切れです。

左側面
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高さ96尺(29.4m)、杉材による三間五層の素木作り、屋根は杉板厚さ2.4ミリの木羽を重ね合わせた杮葺きです。
昭和四十一年国宝に指定されました。
西暦931年から939年の承平年中、平将門建立とされていますが、平将門の娘である如蔵尼が、父が五重塔建立の志を果たさずに戦没したので、冥路の障りとならぬようにと念願し、その意志を継いで塔を建てたと伝えられています。
現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられています。

五重の塔の見学後、急いで参道を戻ります。

とにかく時間がないので車で山頂を目指します。
山頂の駐車場は満車ということで、第三駐車場に車を停め、シャトルバスで向かいました。
数分で山頂に到着。

羽黒山のご案内
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出羽三山案内図
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日本遺産 出羽三山
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構成文化財

山頂の鳥居が見えてきました。
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手水舎
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鳥居
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鐘楼
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鐘楼堂は鏡池の東にあり、切妻造りの萱葺きです。
最上家信の寄進で元和4年再建されました。
山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物になるそうです。

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重要文化財羽黒山大鐘
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鐘は建治元年の銘があり、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古くて大きい。
鐘の口径1.68m(5尺5寸5分)、唇の厚み22cm(7寸1分)、鐘身の高さ2.05m(6尺7寸5分)、笠形の高さ13cm(4寸4分)、龍頭の高さ68cm(2尺2寸3分)、総高2.86m(9尺4寸2分)です。
そばで見るとかなり大きく感じます。
重厚で、重量もありそうですね。

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この鐘は文永・弘安の蒙古襲来の際、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きによって、敵の艦船を全部海中に覆滅したので、鎌倉幕府は、羽黒山の霊威をいたく感じて、鎌倉から鐘大工を送り、羽黒で鐘を鋳て、羽黒山に奉ったのだそうです。

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出羽三山神社参集殿
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地上2階、地下1階総床面積2,179平方メートル入母屋造り銅板一文字段葺

狛犬
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さすが羽黒三山神社の狛犬、威厳がありすぎ。

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月山神社
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湯殿山神社
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出羽神社
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例祭(花祭り)大祭
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7月15日に行われる花祭りは、本社での大祭としての開帳法会が済んだ後、境内地にて櫛引町に古来から伝わる黒川能を始めとする各伝統芸能が奉納されます。
万灯と呼ばれる造花は『稲の花』とされ、これらを持ち帰り、家の門戸に飾り五穀豊穣・家内安全・悪霊退散の守り神とします。
これも出羽三山の三神は農耕の神であることに由来しているからです。
本日どうりで混雑しているわけです。

参拝をしようと三神合祭殿の階段を上っていくと人垣が途切れません。
お賽銭箱にも手が届かず間から本殿を覗いてみると巫女様がお神楽を舞っていました。
お参りついでにこれをみなさま見学しているようです。

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蜂子社(はちこしゃ) 
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市有形文化財
祭神 蜂子命(はちこのみこと)
第32代崇峻天皇の皇子で出羽三山の開祖を祀る

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蜂子社で黒川能を演じていました。

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黒川能
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厳島神社(いつくしまじんじゃ)
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市有形文化財
祭神 宗像三神(むなかたさんじん)
 多紀理比売神(たぎりつひめがみ)
 市寸島比売神(いちきしまひめがみ)
 多岐津比売神(たぎつひめがみ)
神格 海の神・航海の神・財福・技芸の神
神徳 豊魚・海上安全・商売繁盛・芸能上達・財運増大
祭神 津速魂神(つはやむすびのかみ)
 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)の祖神とも云い、火産霊神(ほむすびのみたまのかみ)と同神ともいう。

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山頂鳥居
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五重の塔より左折するといよいよ長い石段が始まります。
一の坂、二の坂と進むとようやく中間地点となり、三の坂を上り、2446段の石段の尽きるところに朱の鳥居があります。
鳥居の手前の坂を十五童坂といい、坂の左に、一山の貫主の住んだ執行寺跡、右に本社のかぎを取り扱った鍮取(かいどり)役という一生不犯の清僧修験の住んだ能林院が在ったそうです。
出羽三山神社の御利益は、昔ながらに石段を上ることと言われています。
時間があればこのコースで山頂をめざしたかったですね。
ゆっくり登ってほぼ1時間ほどかかるそうです。
体力勝負になりますね。

手水舎
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この手水舎の水は月山四合目・六合目から引いてきた清水です。

手水の作法
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能除太子坐石
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開山能除太子が登上の折に休息された場所とか、昇天のとき召された沓(はきもの)がこの場所にあったと伝えられています。

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鏡池と三神合祭殿
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鏡池は東西38m南北28mの楕円形で御本殿の御手洗池であり、年間を通しほとんど水位が変わらず、神秘な御池として古くより多くの信仰をあつめ、羽黒信仰の中心でもありました。
古書に『羽黒神社』と書いて『いけのみたま』と読ませており、この池を神霊そのものと考え、古来より多くの人々により奉納された、銅鏡が埋納されているので鏡池というそうです。

羽黒山鏡池玉垣奉献建立の碑
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羽黒山昇龍降龍
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鏡池はいにしえより御手洗いといわれ、水面に映る御本社を遥拝する信仰がありました。
この鏡池の御祭神である羽黒神は(いけのみたま)は、水の神である九頭龍王であり、地主神の象徴として信仰され修験道の神仏習合の土壌で育まれてきました。
雲雨を支配する霊力を持つとして、降雨や止雨に霊験あらたかとされ、天から降った雨は地下に浸透し、やがて蒸発して雲となり再び雨となって降りそそぐ。
昇り龍・降り龍はそうした水の天地間の往来をあらわしたもので、万物は雲雨によってはじめて生々流転が可能となるとし崇められてきました。

昇龍
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降龍
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羽黒山昇龍・降龍建立の証
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山頂駐車場
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ここからシャトルバスで、第三駐車場へ戻ります。

天気が良く日差しが強くて暑かったです。
主人は水を買って飲んでいました。

出羽三山天然名水
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ご利益ありそうな水です。

これで秋田旅行3日間の旅は終了です。
最後まで見て下さった方々おつきあいありがとうございました。
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2019_07
20
(Sat)19:03

秋田 『なまはげ館・白瀬南極探検隊記念館』

7月14日日曜日の 秋田家族旅行の続きです。

13日の晩は、秋田県由利本荘市のビジネスホテル『ホテルアイリス』に20時過ぎに到着し、ホテルの食堂で8時30分ラストオーダーぎりぎりに滑りこみ、30分で夕食を済ませ部屋でシャワーを浴び、そうそうに寝ました。

14日朝6時に起床、最上階のレストランで7時からの朝食バイキングをとらず、ホテル近くの吉牛で朝食をとり、『なまはげ館』を目指して出発です。
主人に言わせると混雑を避けるため、早くホテルを出発したいらしい。
秋田まで来てなぜ吉野家の牛丼?
ホテルの朝食バイキングに後ろ髪を引かれながらしぶしぶついて行く自分でした。

三日間の秋田の天気は予報では悪そうでしたが、朝から青空が見えます。

なまはげ館は秋田自動車道北上J.I.Cから昭和男鹿半島I.Cまで約2時間~昭和男鹿半島I.Cから車で40分ほどです。
由利本荘からは日本海東北自動車道秋田区間と秋田自動車道経由で1時間15分程でした。

男鹿なまはげラインを走ります。

大増川
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大増川橋の手前になまはげの像がお出迎えです。
なかなか迫力がありますね。
包丁を持って手を振り上げた様子が怖いです。

なまはげ館・男鹿真山伝承館 案内板
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なまはげの灯籠
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なまはげ館入り口手前の両サイドにあります。

なまはげの玉
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男鹿の海と山と夜空と三体のなまはげをモチーフに、なまはげの魂を大理石モザイクで表現しています。

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青と緑の流れで日本海の潮のエネルギーを、茶と赤の渦巻きで山々のエネルギーを、北極星を配置し、美しい男鹿の夜空を、三体のなまはげが、シコを踏んでいる姿を、それぞれ表現しています。
1999年7  作者  上 哲夫

なまはげ館
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なまはげ
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なまはげ館内入口に立ってます。

御守り
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此れの稲藁で なまはげのケデ(衣装)が作られて居ります。

入り口で真山伝承館との共通チケット(入館料800円)を購入していると、男鹿真山伝承館の方でナマハゲ習俗学習講座の開講時間となることを聞いたのでそちらから先に行きました。

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男鹿真山伝承館
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ナマハゲを知る、見る、体感できる伝承館です。
男鹿真山伝承館は、なまはげ館の隣にあり、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。

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民俗行事として大晦日にのみ地元の人以外には中々見ることが出来なかった古い伝統としきたりを、厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座が30分ごとに行われています。

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DSC_1050 (640x480)曲家の周りを散策していると、9時からの学習講座をしている声が時折外まで漏れ聞こえてきました。
わくわく感が増します。

そして9時半、前の学習講座を終えた観光客の人々が曲家の戸口から出て来ました。

曲家の座敷
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昔の民家だ!風情があります。
隣奥の奥座敷に並んで座るように言われました。
一番乗りだったので、最前列です。
吉野家の牛丼でラッキーだったと思う自分です。

後ろには小さな男の子が母親の膝の上でおびえていました。
座敷内は薄暗く、入って来た時から異様な雰囲気を感じ取ったのか、ずっと『怖い、怖い』と言っています。
泣きそうな子にお母さんは『大丈夫、大丈夫』と何度もささやいていました。

主人とさきだち
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『先立』という役目をする人が事前に家の主人にナマハゲを入れても良いか否かを確認しています。
左側がこの家の主人で、右側がさきだちと言われる人です。

なまはげ登場
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真山地区では古くから伝わっているという角のないお面をかぶり、二匹一組となって家々を練り歩くそうです。
障子の向こうで『ウオー!ウオー!』と唸っている声とバチンバチンと大きな音が聞こえました。
まず家に上がりすぐに四股(シコ)を7回踏むそうです。
これで初めて家の中を歩き回ることができるんだとか。

先ほどの小さな男の子はなまはげ登場の瞬間泣きだしました。
そりゃあ怖いわな~。

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『ナマケモノの匂いがする』『ナマケモノはいないか!』などと、荒荒しい奇声を上げ畳を強く踏みしめながら歩き回ります。
かなり近いです。
目の前に立っています。

男の子の近くに行きました。
母親にしがみついて、さらに大泣きです。

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その家の主人が荒れ狂うナマハゲをなだめています。

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丁重にもてなしナマハゲにお膳を添えます。

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ナマハゲは添えられたお膳に座る前に5回シコを踏みます。

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主人がおめでとうございますと新年の挨拶をすると、急に礼儀正しくなったなまはげもお辞儀をします。

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あれだけ暴れていたのに行儀よく座るなまはげの二人。

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膝の上にきちんと置かれた手が微笑ましいです。

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雪深い山奥から下りてきたナマハゲに主人は喉が渇いただろうと酒肴をすすめます。
お酒の銘柄は秋田こまちと言っていました。

主人とナマハゲとの間で様々な問答が交され始めました。

なまはげ台帳
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このなまはげ台帳には家々の人の様子が事細かに書かれてあり、家の主人が嘘を言ってかばおうとしてもなまはげにはすぐばれてしまいます。

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なまはげはこの台帳を見ながら、子供は家に帰ればゲームばかりしているとか、母親は近所の奥さん方と夜にはカラオケに行って早起きしないとか、今風にアレンジして話していました。

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ナマハゲはその家を立ち去る前に『来年もまた来るぞ!』と言い残し次の家へ向かいます。
ナマハゲは来年も豊作であるよう祈願し、再び立ちあがり3回シコを踏み、また歩き回りお餅を貰って帰っていきました。

家に上がってすぐ7回、お膳に着く前に5回、立ち上がる際に3回、『七・五・三』という男鹿真山のナマハゲ独自のしきたりだそうです。
ナマハゲは、その家の子供達が病気や怪我などせず幸福になれるようシコを踏むのだそうです。

このナマハゲの伝承は今でも地域の人々の手によって受け継がれ次の世代へ、また次の世代へと継承されているそうです。

なまはげの生体験が出来て面白かったです。
貴重な経験になりました。


これよりなまはげ館に戻ります。

神秘のホールでは男鹿の風土を体感出来ます。
ナマハゲを生み、育み、伝承してきた男鹿特有の風土が紹介がされています。
丸木舟など民具の展示、映像、グラフィックパネル、パソコン検索装置など

丸木舟
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なまはげのお面を作るなまはげ
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石川千秋  ナマハゲ面づくりの実演
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なまはげ面製作
ナマハゲ彫師『石川千秋』によるナマハゲ面の手彫り工程を実演しています。

お面を作っている様子が間近で見学できます。
早朝なので、観光客も少なくじっくり見学出来ました。
木彫りの置物のなまはげをここで購入しました。

なまはげ伝承ホール
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なまはげ伝承ホールでは、真実のナマハゲが伝えられます。
男鹿に生き続けるなまはげ行事の姿や、しきたり、伝承する人の精神を描いています。
スクリーンでは、男鹿の大晦日のナマハゲ習俗を紹介する映画『なまはげの一夜』を30分おきに上映しています。

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館内はあちらこちらになまはげが。

なまはげ勢ぞろい
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なまはげ勢ぞろいで、多様な姿が浮き彫りに!
男鹿市内各地で実際に使われていた150枚を超える多種多様なナマハゲ面が勢ぞろいしています。

なまはげ勢ぞろい
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ここには『なまはげ行事』に使用してきた面を展示しています。
面はそれぞれの地区の人が、主として『木』や様々な素材を使って作り伝えられています。
着るものは稲藁製で、毎年作り直して使用しています。 
『なまはげ』の姿は鬼のようですが、男鹿の地域では『神』と考えられ鄭重に迎えられています。
時代が変わっても、面に込められた思いや『なまはげ』を迎える人々の思いは昔と変わっていません。

男鹿のなまはげ
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『なまはげ』は大晦日の夜、男鹿半島で広く行われる秋田県の代表的な民俗行事です。
なかでも男鹿半島では八十近い集落がそれぞれ独自の形でその行事を継承しています。

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地区によってなまはげのお面が違います。
個性あふれるなまはげたちは圧巻の迫力です。


なまはげを十分堪能したので、なまはげ館近くの男鹿真山神社に向かいます(徒歩3分約190メートル)。
真山神社は秋田県男鹿市北浦字真山にある神社です。

男鹿国定公園 真山
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仁王門
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男鹿真山神社縁起
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由緒沿革
社伝によれば景行天皇の御代、武内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(現在の真山・本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して瓊瓊杵命・武甕槌命を祀ったのが始源とされています。
平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年中には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南は本山としたと伝えられています。
以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合されました。
南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏・藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇ったようです。
江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹候の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽藍が営まれるようになったそうです。
明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められました。
明治14年には県社に列格されることになりました。
本殿は今なお真山山頂に鎮座し、国家安泰・五穀豊穣・海上安全勝運の守護神として崇敬されています。

柴灯祭
本社の特異神事であるこの祭りは、正月3日の夕刻境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅を、お山に鎮座する神に献じ、その年の村内安全、五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る祭儀です。
なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身と言われ、長治年中より行われてきました。
また、毎年二月の第二金・土・日には「なまはげ柴灯祭り」として真山神社を会場に開催されます。
この時神鬼に献じられる餅は護摩餅と称され、災難除去の護摩符として氏子参拝者に領賜されます。
極寒の宵に斎行される神秘な神事で、冬の東北五大雪祭りの一つとして広くも知られています。

仁王像
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奉納
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日本国有鉄道土崎工場家事職場 昭和45年
仁王門の中に巨大出刃包丁が奉納されました。

狛犬
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狛犬もなまはげ風でした。

アジサイと狛犬
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アジサイが綺麗に咲いていました。

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仁王門をくぐってから、神社拝殿までの石段は約70段です。

歌碑
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真山神社
なまはげ・・・・・?なんて書いてあるか読めませんでした。

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神社が見えてきました。

丸木舟
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杉丸太をくりぬいた舟で、『えぐり舟』とも呼ばれています。
一本の木から作られる丸木舟は、岩に当たっても壊れにくく、安定性にも優れていることから岩礁の多い男鹿をはじめ、日本海沿岸各地で広く使われていたそうです。
継ぎ目がないので頑丈そうに見えますね。

真山神社
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狛犬
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小堂
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神社南側後方の小堂には、神仏習合時代以来の別当光飯寺のご本尊、薬師如来座像が祀られています。

薬師如来座像(秋田県指定有形文化財)
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この像は南北朝時代の作と見られ、今日に至るまで篤く崇敬されているそうです。

真山神社は周囲を老杉と緑に囲まれており、穏やかな時間が流れる神域です。
パワースポットとも言われています。
心身が癒されパワーがみなぎってきたところで、次の目的地『白瀬南極探検隊記念館』に向かいます。


白瀬南極探検隊記念館は秋田県にかほ市黒川岩潟にあります。
男鹿真山神社から秋田自動車道と日本海東北自動車道 秋田区間経由で約1時間30分ほどです。

白瀬南極探検隊記念館
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正面です。

右側側面
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駐車場からくると右側から正面に回った形になります。

ペンギン
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ペンギンさんがお出迎えです。

南極地域観測船『しらせ5002』のスクリューブレード
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スクリューブレードは10年ほど前まで『しらせ』に使用していたもので、千葉県にある海上自衛隊の倉庫に保管されていたものを借り受けたものです。

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白瀬南極探検隊記念館入口
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白瀬矗の南極探検ゾーン
白瀬と共に夢を追い続けた隊員たちの足跡をたどります。
このゾーンでは、白瀬矗をはじめ、南極探検を夢見て運命を共にした隊員たちの足跡をふり返ります。
『開南丸』内部の復元や同時期に南極点を目指したアムンセン、スコットなどの探検家たちによる命をかけた南極点到達レースの模様や、彼らが使用した帆船模型を展示しています。 

海南丸
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開南丸内部の復元
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船長 野村直吉
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明治43年6月、新聞で募集された南極探検船の船長に申し込んだ野村直吉は、204トンのの海南丸を操り、一人の犠牲者も出すことなく、見事に南極までの航路を往還しました。

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内部の階段から甲板に登れるようになっています。
舵が見えます。

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船模型展示

フラム
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海南丸
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テラ・ノバ
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宗谷
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ふじ
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しらせ
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新しらせ
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歴代の南極観測船が展示されていました。

日本初の南極探検家 白瀬矗
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雪上車展示ゾーン
極点到達の雪上車を実物が展示がされています。

日本南極観測隊
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1月から絶賛放映中の『宇宙よりも遠い場所』は女子高生が南極観測隊員として活躍するTVアニメです。

小淵沢報瀬:花澤香菜
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白石結月:早見沙織
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三宅日向:井口裕香
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玉木マリ:水瀬いのり
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南極点到達雪上車 KD605
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2014年、未来に残すべき貴重な機械として『機械遺産』に認定されました。

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昭和43(1968)年12月19日、村山雅美隊長率いる第9次越冬隊による極点旅行チームが日本人として初めて南極点に到達。
その時に使用された大型雪上車『KD-605』を当時の雄姿を残したままで展示しています。

南極点到達雪上車 KD605の内部
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実際に雪上車に乗り込み、南極探検の気分を満喫できます。
運転席にも乗れます。
気分は南極探検家。

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雪上車(KD506)の主要諸元
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南極の氷展示

氷山の氷は数万年前に降った雪が固まってできたものです。
日本の南極観測隊員たちが、氷山に登って採取してきた貴重な『南極の氷』を常設展示しています。

南極の氷
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観測隊が昭和基地の近くの氷山をつるはしで割ってきたものだそうです。
触って見ましたが冷たさを感じませんでした。
触っていても溶けてこないようです。

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南極の氷の特徴
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1.細かい気泡を含んでいる
2.溶けにくい
3.鋭く割れる

南極の石 黒雲母花崗片痲岩 
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この石は、にかほ市金浦出身の奥山四郎氏が、第二十五次南極観測隊 支援砕氷艦『しらせ』の飛行長付として南極に行った際に採取したものです。
約80kg

オーロラドーム

世界初 北極南極のオーロラ 同時上映
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南極と北極で撮影された美しいオーロラ映像が世界で初めて同時上映しています。
未知とロマンの世界に誘われながら、思わず感嘆の声が!まあまあ綺麗でした。
スクリーンに映すので、まあこんなものでしょう。

このほかに、南極探検の歴史や南極観測船『新しらせ」』、南極観測の活動、そして南極の自然、生物の様子なども同時上映しています。

オーロラの写真が通路に展示されていました。

オーロラ
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オーロラは、太陽から放出される太陽風が、地球の大気と衝突して、そのエネルギーを放出する巨大な放電現象です。
その電力は最新の発電機の100万倍といわれています。

オーロラ グリーン・ブルー・ホワイト
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緑色と白色のオーロラは、地上約120km上空の酸素原子、そして青色は地上約100km上空の窒素分子の放電現象です。

オーロラ ピンク・レッド
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ピンクのオーロラは、地上90kmから100km上空の窒素分子と強力なエネルギーを持った電子とが衝突して起こる放電現象です。
赤いオーロラは、地上約250km上空で、酸素原子と弱いエネルギーの電子による放電現象です。
時には日本でも赤いオーロラが見られるそうです。

魅惑のオーロラ
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オーロラは緑と赤の色で特徴づけられます。
さらに5つの形態に分類されています。
 アーク・・・発生の初期に見られる円弧型オーロラ
 バンド・・・円弧型が曲がったりよじれたりしたオーロラ
 レイ・・・・地磁気に沿った縞模様が見られるオーロラ
 バッチ・・・幾つかの固まりに分裂したオーロラ
 ベール・・・一様に広がったオーロラ

オーロラのタイプと形態
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オーロラにもいろいろあるんですね。
綺麗綺麗と騒いでいたばかりで、知識がまるでなかったのですが、ずいぶん勉強になりました。

白瀬南極探検隊記念館前の公園
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くじら
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南極のペンギンと秋田犬
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道沿いに点在してます。

秋田名物ババヘラアイス
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男鹿なまはげラインの途中で見かけました。
派手なパラソルの下に黄色のエプロンとピンクと黄色のスカーフをしたおばちゃんが座っています。
ピンクと黄色の2色はババヘラアイスを象徴する色だそうです。
なまはげ館入口にもいました。
アイスの販売のようです。
そしてここ白瀬南極探検隊記念館前の公園にもいました。
とても気になります。
購入しました。
200です。
思ったより安いですね。
銀色の保冷缶からアイスをすくってコーンにへらを使って慣れた手つきで、美しい花びらの形に盛り付けていきます。

ババヘラアイス
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バラの形?
食べた感じはアイスクリームというよりはシャーベットに近い感じです。
さっぱりした甘さですかね。
後味が良かったです。

中高年の女性(ババ)がヘラで盛るからババヘラアイスというそうです。

ババヘラアイスを食べて白瀬南極探検隊記念館とはお別れです。


ホテルに帰る途中、鳥の大群が空を飛び回っていました。
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すごい数です。
カラスでしょうか?
大量発生です。

由利本荘の鶴舞温泉に寄ってお温泉に入り、夕食を済ませホテルに戻りました。
15日月曜日は羽黒山です。
2019_07
19
(Fri)17:07

秋田 『遊佐町の十六羅漢と夕日の道』

梅雨前線が日本海沿岸にのび、さらに台風5号が東シナ海を北上しています。
よって昨日午後から出ていた大雨警報は引き続き継続されていて、本日学校は休校になっています。
おかげで職場は休みとなり、先週に続いて今週も3連休となりました。
夏休み前の骨休みが出来そうです。

先週の3連休、2泊3日の家族旅行で秋田に行ってきました。
結構いい歳の娘たちですが、それぞれ仕事の都合をつけて家族で出かけることが出来ました。

上の娘は今月初めから実家を出て、アパートに友達とルームシェアをしながら、気楽な生活を始めました。
実家暮らしと比べると、自分ですることは増えたようですが、なかなか楽しいようです。
一人家から居なくなるだけで、家事の手間は減り、何をするにも楽になりましたが、食事を作るたびに料理の量と食卓の空席が少し淋しさを感じさせます。

そんな時の家族旅行だったので、楽しさが増しました。

北陸自動車道米山サービスエリア 下り
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前方日本海に佐渡島が望めます。

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海・佐渡・夕日の展望台
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展望台よりの眺め
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アジサイ
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芭蕉の句碑
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荒海や 佐渡に横たふ 天の川

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『奥の細道』の旅の途中、越後出雲崎での吟。
芭蕉46歳。

目の前に荒海がある。
暗い海上のはるか彼方に流人の悲しみを数々秘めた佐渡が島がある。
仰ぎ見ると空には天の川がさえざえと横たわっている。
近くに、遠くにそして天空に広がる大自然に、この雄大さに比べれば、そこにたたずむ人間がいかに小さなものか、人の哀れさを誘うものがある。

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中央やや右側の海面に近い長細い入道雲の下にうっすらと見えるのが佐渡です。

秋田方面に向けて海岸沿いを走ります。
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走行中の車窓から撮るのはむずかしいですね。
空の雲と波間に浮かぶ日の光がキラキラ輝いて綺麗でした。

鳥海山
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鳥海山は山形県と秋田県の県境にあって日本海に面し、標高は2,236メートルです。
出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として古くから崇められてきたそうです。

風力発電の風車
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海岸沿いに風車が立ち並んでいます。

夕日
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雲が晴れて黄金に輝く夕日が見られました。


鳥海国定公園の十六羅漢岩
山形自動車道酒田みなとICから、国道7号線秋田方面へ20分程のところにあります。

鳥海国定公園
新奥の細道コース案内 十六羅漢と夕日のみち
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名勝羅漢岩の由来
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現曹洞宗海禅寺二十一代目の石川寛海大和尚が、日本海の荒波の打ち寄せる奇岩の連る数百メートルに点綴して刻んだのが十六羅漢です。

歌碑
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冬来れば母川回帰の本能に 目覚めて愛し鮭のぼりくる  勇

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先人たちの長年の人口ふ化事業の辛苦のもと、月光川で生を受けた鮭の稚魚が、遠く北洋の旅を経て、再び母なる川月光川の清流を慕い帰ってくる姿を詠みあげた一首。
南遊佐村に生まれ育った歌人、斎藤勇氏の作。

カメ
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歌碑の左横の石の上にウミガメの石像がありました。

夕日がかがやく町で 愛を!
SUNSET POINT
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眺望台には歌碑や句碑があり、飛島やすばらしい夕日が望める名所となっています。

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十六羅漢周辺マップ
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十六羅漢岩の南方向に遊歩道を降りていきます。

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夕日がめちゃくちゃ綺麗です。
この綺麗な夕日が、そのまま写真にきちんと映るのかが不安でとにかく撮りまくりました。

十六羅漢岩は吹浦海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、1864年に造佛を発願し、地元の石工たちを指揮、5年の年月をかけて明治元年22体の磨崖仏を完工したそうです。
16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体あります。

観音菩薩
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左から 第十三尊者(いんがだ)・第一尊者(びんどらばらだーじゃ)・第九尊者(じゅばか)
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左から 舎利弗(しゃりほつ)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)・目連(もくれん)
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夕日の写真を撮るのに手いっぱいで、近場の物のみ撮影しました。

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夕日が沈むまでほぼコマ送り状態です。

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岩百合(イワユリ) ユリ科ユリ属
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新潟県親不知から青森県の海岸の岩場、佐渡、粟島、飛島の海岸の岩場に自生。
この花が咲くとスルメイカの漁が始まると言われています。
また、この花を採ると海の神様が怒って海が荒れるとも言われているそうです。
スカシユリは、イワユリを品種改良した園芸種だそうです。
岩場にたくさん咲いていました。

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日が沈んでいきます。

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夕闇の中の展望台
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夕日に感動した方々は夕闇迫る展望台で余韻に浸って別れを惜しんでいました。

7月13日土曜日11時頃に自宅を出発してからおよそ8時間後の18時45分に遊佐町に到着。
十六羅漢岩で、夕日の撮影が無事できました。
夕日の写真はどの写真も選ぶことが出来なかったので、全てアップしました。
同じような写真ばかりでしたが、最後までお付き合い下さりありがとうございました。

宿泊はもう少しさかのぼって秋田県由利本荘市まで行きます。
ホテルアイリスで連泊しました。
 
秋田の旅の続きは14日日曜日『なまはげ館』からはじまります。

最後に夕空
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天使の羽のような夕焼雲が空に広がっていました。
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(Wed)17:06

東北 『山形県米沢上杉神社』

25年ぶりに非常に強い勢力で上陸した台風21号は足早に通り過ぎたものの、最大瞬間風速は、近畿や東海、北陸で50メートル、北海道や東北で45メートルといわれ、東海地方でもかなり強い風が吹きました。
隣の家の車庫の屋根が今にも吹き飛んできそうな感じで、時折吹く突風に大きく揺れていました。

近隣では停電が続き、夕食がとれない事態や、お風呂に入れないとラインが飛び交っていました。
中でも停電時に困るのが冷蔵庫です。
アイスクリームが解けるとかで何本も食べたという話を聞きました。
まあ大きな被害がなくてよかったのですが。
暴風雨の中、市内停電の為ご迷惑をおかけしていますと放送が流れました。
只今復旧に努めていますとのこと。
停電が続きイライラしている人が、『電力会社は何しとる』の一言。
皆様懸命に復旧作業をしております。
電力会社の方々本当にご苦労様です。
うちの娘も会社から夜半2時に出勤するよう言われ出かけていきました。
台風のさなか仕事をしている方々は本当に大変だと思います。
朝になって電気は復旧したそうです。
電気のありがたみが身に染みました。

早朝6時30分までに警報が解除されていなかったので、学校は昨日に引き続き休校となりました。
仕事も引き続き休みです。
台風が通り過ぎた後片付けに午前中はおわれ、昼から一休みがてらブログの更新をしています。


東北旅行3日目の15日は米沢に向かいました。
目的地は米沢上杉神社です。
山形市を朝8時に出発、道の駅たかはたで休憩しました。
道の駅たかはたは国道113号線沿いにあり、ここから米沢市まで25分ほどです。

道の駅たかはた まほろばステーション
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泣いた赤鬼のパネル
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みちのくおとぎ街道、高畠町のキャラクター『泣いた赤おに』です。
イケメン二人、アニメ好きなら必ず目に留まります。

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自由に撮影出来ますヨ♪

おとぎ街道
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『泣いた赤おに』は山形県高畠町出身で日本を代表する童話作家の浜田広介先生の代表作です。
浜田広介は、山形県の童話作家で『日本のアンデルセン』とも呼ばれているそうです。
日本の児童文学の先駆け的存在で、作家人生50余年の間に、約1000編もの童話や童謡を世に送り出したとか。
代表作品として「泣いた赤おに」「りゅうの目のなみだ」「よぶこどり」「むくどりの夢」などがあります。
『泣いた赤鬼は』とても印象深い絵本でした。
小学生の時読むたびに目頭がじーんとあつくなったことを覚えています。
鬼は悪者という考えを一変してくれたのがこの物語でした。
浜田広介記念館というものがあるそうです。
今度は、是非そこへ行ってみたいですね。

東北中央自動車道を経由して山形市から1時間ちょっとで米沢市に到着しました。
上杉神社は山形県米沢市にある神社で、松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉謙信が祀られています。
13号米沢バイパスから車で約15分ほどのところです。

松が岬公園案内図
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米沢城祉です。

舞鶴橋
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舞鶴橋は国指定登録有形文化財になっていて、橋の長さは5メートル、幅は7メートルです。

水堀
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右側

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堀を覗くと鯉が沢山泳いでいました。

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左側
大きな水堀が当時の米沢城の面影を残しています。

上杉神社参道入口
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参道両側に立てられた見覚えのある旗が風になびいています。
『毘の一字旗』と『懸かり乱れ龍』です。
『毘』の旗は上杉謙信が信仰していた毘沙門天の一文字をとったもので、『龍』の旗は総攻撃の合図に使われた旗だそうです。
いずれも戦いの時に用いられた旗です。

上杉謙信像
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参道の右手少し入ったところに上杉謙信公の像があります。

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等身大のブロンズ像で昭和49年に建立されました。
右手に采配を持ち、春日山城の方角を見つめて鎮座しています。
長い年月が経っても、故郷の春日山城に思いを馳せているのでしょうね。

上杉謙信説明文
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上杉謙信は戦国末期、群雄割拠の中にあって『越後の虎』と恐れられた文武兼備の名将です。
謙信は毘沙門天を深く信仰し、軍旗に『毘』の一字を用いました。
出陣に際しては神仏の加護を願い、天に代わって世の邪悪を払う『武禘式』を執り行なったとあります。

謙信は、越後の龍・軍神と称されるほど戦上手な戦国武将として有名です。
武田信玄との『川中島の戦い』は有名で、常に義を重んじる姿勢が人気の武将です。

天池人像
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上杉景勝公と直江兼続公の主従像
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慶長六年(1601)、上杉家は関ケ原戦の責めを負って、会津百二十万石から米沢三十万石に減封されました。
初代藩主は上杉景勝公、その執政が『愛』の前立ての兜で知られる直江兼続公です。
二人の主従は固い絆で結ばれ、義と愛の心で領国経営にあたり、米沢藩二百七十年にわたる治政の礎を築きました。

『天地人』の放送によって全国に示された主従の強い絆や上杉家に継承されてきた義と愛の精神を後世に伝えていくことを願い、上杉景勝・直江兼続主従の銅像が建立されました。

天地人といえばNHK大河ドラマ『天地人』で妻夫木聡さんが直江兼続役でしたが、かっこよかったですね。
オープニングの音楽が頭の中に流れます。

参道左側には説明板

米沢城下絵図
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米沢城
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伊達氏・上杉氏の居城で、松岬城・舞鶴城とも呼ばれています。
米沢城の起源は、鎌倉時代に地頭・長井時広が居館を置いたと伝えられています。
その後、長井氏に替わり伊達氏が置賜地方を領し、天文十七年(1548)に伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・政宗の三代で米沢城下が整備されました。
天正十九年(1591)、政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入りますが、慶長三年(1598)に上杉景勝が会津百二十万石に入封、米沢城には家臣・直江兼続が配されました。
慶長六年(1601)、前年の関ケ原の戦いで西軍方についた上杉景勝が米沢三十万石に滅封され米沢城に入城、城下の拡張整備に着手しました。
以後、寛文四年(1664)に後継問題で米沢藩は十五万石となりますが、米沢城は約270年間にわたり上杉氏十三代の居城として明治維新を迎えました。

城郭は平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式の縄張りで、三の丸の東側には町人町・職人町が置かれました。
本丸の中央は藩主の住む御殿があり、南東隅の高台には上杉謙信の遺骸を祀る御堂が建ち、北東と北西の隅には三層の隅櫓がありました。
明治になって御殿や隅櫓は取り壊され、本丸跡は松岬公園と上杉謙信を祀る上杉神社になりました。
堀と土塁が往時を偲ばせ、堀の周囲には桜の木が並び桜の名所ともなっています。

米沢城ゆかりの戦国武将
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伊達政宗(1567~1636)
仙台藩六十二万石の基礎を築いた戦国武将。
永禄十年に米沢城で生まれ、十八歳で家督。
幼名は梵天丸で、『独眼竜』とも称された。
会津の芦名氏等を破り領地を広げるが、政宗二十五歳の天正十九年に豊臣秀吉によって岩出山城に移される。
その後、本拠を仙台城に移し仙台藩の基礎を築く。
寛永十三年に江戸で死去、享年七十でした。

直江兼続(1560~1619)
上杉景勝を支えた知将。
樋口惣右衛門の長男として坂戸城下に生まれ、景勝の近習に選ばれる。
その後、重臣・直江家を継いで上杉家の中枢として景勝を支えた。
米沢三十万石へ移封後は、町割りや堤防・水路の整備、鉄砲鍛冶の招聘、学問所『禅林文庫』の開設など、城下町米沢の基盤を築く。
元和五年に江戸で死去、享年六十でした。
林泉寺に兼続夫妻の墓があります。

上杉景勝(1555~1623)
米沢藩の初代藩主。
坂戸城(新潟県南魚沼市)に生まれ、叔父上杉謙信の養子となる。
謙信死後の家督争いに勝利し越後を統一。
豊臣秀吉の命で会津百二十万石に移り、五大老となるが、秀吉死後に徳川家康と対立、関ヶ原の戦いの後に米沢三十万石へ移封となる。
以後、重臣直江兼続に命じ、米沢城下の整備や政治体制の確立など米沢藩の基礎を築く。
元和九年米沢城で死去、享年六十九でした。

上杉謙信が眠る米沢
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上杉謙信は天正六年(1587)、越後の春日山城(新潟県上越市)で四九年の生涯を閉じます。
その遺骸は漆で密閉された甕に入れられ、上杉家と共に越後から会津、米沢へと移されました。
米沢城本丸の東南隅に謙信遺骸を祀る御堂(祠堂)が建てられましたが、本丸内に遺骸を安置するのは大変珍しいことです。
御堂は城内で最も神聖な場所とされ、江戸時代が終わるまで藩士から崇拝されました。
現在は歴代藩士が眠る米沢藩主上杉家廟所中央に遺骸が移されています。

伊達政宗公生誕の地 
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米沢はかっては伊達家の領地でした。
戦国武将伊達政宗は米沢城に生まれ、25歳で岩出山城(宮城県大崎市)に移封されるまでの青年期の多くを米沢で過ごしました。

上杉鷹山像
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なせば成る 
 なさねば成らぬ 
  何事も 
成らぬは人の 
 なさぬなりけり
            上杉鷹山公詠
この言葉は聞き覚えがあります。
わりと有名ですよね。
どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するということで、やる気の大切さを説いたことばだそうです。

上杉鷹山公
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上杉家十代、貧窮の淵にあった米沢藩を、卓抜な発想と大胆な政策によって再建した江戸時代随一の名君として知られています。
米沢織、米沢鯉、深山和紙など、鷹山の興した産業は現在に伝承されています。
『為せば成る』、あらゆる困難に立ち向かいながら、この言葉通りに一生を生き抜いた方なんですね。

直江兼続公
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いよいよ上杉神社へ、参道を直進します。

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手水舎
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手水といえば通常は竜が多いですよね。

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さすが『越後の虎』と呼ばれていただけあって、やはりここは龍ではなく虎です。

上杉神社入口には、上杉謙信の作とされ家臣団に伝えられてきたと言われる、心のあり方と人の言動、態度などの関係を 16ケ条にわたって記した『上杉謙信公家訓十六ケ条』の碑があります。

上杉謙信公家訓十六ヶ条
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一、心に物なき時は心広く体泰なり   (物欲がなければ心はゆったりとし体はさわやかである)
一、心に我儘なき時は愛敬失わず    (気ままな振舞いがなければ、愛嬌を失わない)
一、心に欲なき時は義理を行う     (無欲であれば、正しい行い、良識な判断ができる)
一、心に私なき時は疑うことなし    (私心がなければ他人を疑うことがない)
一、心に驕りなき時は人を教う     (驕り高ぶる心がなければ、はじめて人を諭し教えられる)
一、心に誤りなき時は人を畏れず    (心にやましい事がなければ、人を畏れない)
一、心に邪見なき時は人を育つる    (間違った見方がなければ、人が従ってくる)
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし (貪欲な気持ちがなければ、おべっかを使う必要がない)
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり  (おだやかな心である時は、言葉遣いもやわらかである)
一、心に堪忍ある時は事を調う     (忍耐すれば何事も成就する)
一、心に曇りなき時は心静かなり    (心がすがすがしい時は、人に対しても穏やかである)
一、心に勇ある時は悔むことなし    (勇気を持っておこなえば、悔やむことはない)
一、心賤しからざる時は願好まず    (心が豊かであれば、無理な願い事をしない)
一、心に孝行ある時は忠節厚し     (孝行の心があれば忠節心が深い)
一、心に自慢なき時は人の善を知り   (うぬぼれない時は、人の長所や良さがわかる)
一、心に迷いなき時は人を咎めず    (しっかりした信念があれば、人を咎めだてしない)

この『上杉謙信公家訓十六ケ条』は別名『宝在心』といい宝は心に在りと説いたものだそうだそうです。

家訓とはその家を守り立て存続させていくために、子孫の戒めとしてその家の当主が書き残して与えたものだといわれます。
かなり長くて頭に入れるだけでも大変そうです。

上杉神社が見えてきました。
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上杉神社御由緒
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御祭神 上杉謙信公
天正六年(1578年)三月十三日、戦国の名将上杉謙信公が越後の春日山城に四十九才で急逝された時、その遺骸を城中不識庵に仏式を以て鎮祭されたのですが、二代景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当たり、祠堂を米沢城内に移して仏祭を厳修し、爾来二百六十年に及びました。
明治の世を迎えに祠堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君鷹山公を合祀して上杉神社と称し県社に列しました。
明治三十五年に別格官幣社に列せられました。(鷹山公は新たに摂社として松岬神社を創立して正面濠の外に鎮座。)

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狛犬
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上杉神社の駒犬は、姿勢が良くて厳格さがにじみ出ている感じがします。
人間でいうと『気を付け』という直立不動の姿勢をとらせる時の号令がかかった時の状態みたいな。
謙信様の厳しい教えが狛犬にも影響しているように思われました。

上杉神社
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燈籠
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灯籠の獅子
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可愛かったので撮って見ました。
今にもちょこちょこと這い出しきそうです。

上杉j神社右手奥に稲荷神社がありました。

福徳稲荷神社参道入口
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福徳稲荷神社
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第六代宗憲が、城の二の丸に建立したもので、鷹山はこの社を篤く信仰し木彫りにした『正一位稲荷大明神』の額を寄進しました。
天明6年2月11日には鷹山をはじめ、男女100人が詠んだ1題1首の歌を額として奉納したそうです。

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福徳稲荷大明神縁起
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御祭神 宇迦之御魂大神
沿革 
今より二百三十年前の享保十年に上杉宗憲公が城内の鎮護として二の丸に勧請され爾来歴代の御崇敬がありました。
明治九年五月鷹山公の御信仰あつかった三の丸稲荷祠を合祀して上杉神社境内に移し末社といたしました。
大正八年の大火に御本社は炎上したが稲荷社のみは火難を免がれたのであります。
福徳講中の發起にて昭和十二年に社殿改修、同二十七年拝殿増設、同三十年御屋根修理、篤信の人々霊験のあらたかなるに感じ、年越追うて社頭に詣でる者朝夕相踵ぐに至りました。
霊験記 
古誌に傳わる竒しき霊験物語があります。
時は元文五年(1740年)のこと。
宗房公の時、将軍家から御鷹の鶴拝領があり御請けの飛脚を立てたが、御祐筆所で本書と案書とを取違えて大失態を演じ措置に窮した時御城代岩井大膳元則の飯綱の修法にて神使白狐の懸命のはたらきとなり遂に大難を免かれたのであります。
其遺骸は大膳の申立にて櫃に納めてこの稲荷祠に祀られました。

市杵嶋姫弁天大神
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上杉謙信祠堂(御堂)跡 碑
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天正6年に越後で亡くなった上杉謙信の遺骸は米沢城内の御堂に納められました。
その後上杉家廟所に遺骸が移り、明治24年にこの碑が建てられました。

上杉謙信祠堂(御堂)跡
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江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂(祠堂)が建っていた場所です。
謙信は天正六年(1578)三月十三日、越後春日山城で逝去、享年四十九でした。
その遺骸は甲冑を着せ甕の納め、漆で密閉したと言われています。
その後、謙信の後を継いだ上杉景勝が会津百二十万石、米沢三十万石に移封されるに伴い、謙信の遺骸も移され、米沢城南東隅のこの地に御堂を建て安置しました。
謙信遺骸の左右に善光寺如来と泥足毘沙門像が置かれ、その後は歴代藩主の位牌も祀り、最も神聖な場所として厳重かつ鄭重に祀られました。
明治四年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、謙信は上杉神社の祭神として祭られました。
謙信の遺骸は、同九年に歴代藩主が眠る御廟所(上杉家墓所)に移されました。

かねたん 
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米沢市直江兼続マスコットキャラクターの愛の兜のかねたんです。

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ハートの形の台座に乗って愛嬌をふりまいています。

直江兼続四百回忌
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かねたん生誕十周年記念

建国記念の日 二月十一日
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上杉氏の養子になることになった鷹山が19歳で米沢に入った時、義父上杉重定は歓迎の意を表して米沢城大手門前広場の前を流れる御入水川に架かる橋を、新しく石橋に架け替えました。
行列を従え馬に乗ってやってきた鷹山は橋が新しいことに気づき、馬を降り、石橋の手前で丁寧に頭を下げ徒歩で橋を渡りました。
新藩主のお出迎えをしていた人々はこの鷹山の人柄に感激し、この橋に『いただき橋』と名付けたそうです。
明治に入って橋が割れても、その石を使って『建国記念の日』の碑を建てて鷹山の人柄を伝えました。

従三位上杉義曦山公の碑
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曦山公とは上杉家十三代斉憲の号
文政三年(1820)五月十日生
天保十年(1839)四月家督
戊辰戦の責により明治元年(1868)十二月隠居
明治二十二年(1889)五月二十日東京にて逝去享年七十才
その間ペリー来航、尊王攘夷、奥羽越列藩同盟、明治維新、版籍奉還と波乱万丈の時代を逞しく生きられ明治以降の諸功績により従三位に任じられました。
明治二十四年(1891)公を慕う旧藩士によりこの碑が建立されました。

謙信の精神は長い年月を経てなお上杉家の代々の藩主に根強く受け継がれていったんですね。

舞鶴橋から外に出て右側に堀に沿って歩いて行くと赤い太鼓橋が右手奥に見えてきました。

菱門橋
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米沢城本丸跡の南側堀に架かる太鼓橋で、鮮やかな朱塗りの橋は写真の好スポットとなっています。
橋名は、江戸時代は本丸内の藩主が住んだ『御殿』からの南出入口に当たり、その通行を厳重に取り締まったことから『秘し門』と称されたことに由来するそうです。

上杉神社から隣接する伝国の森米沢市上杉博物館に行きました。

上杉氏の米沢入部
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飯縄明神
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兜の前立

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上杉謙信は米沢上杉家の家祖というべき存在です。
もとは長尾氏でしたが、関東管領上杉憲政から名跡を譲られ、上杉氏を名乗りました。
謙信が使用したと伝えられる兜の前立は、あらゆる秘密を知り、その法を修行した者には思い通りの力が与えられるといわれる飯縄明神です。
仏教を固く信じた謙信の信仰世界の一つを表したものでしょう。

実りのジオラマ
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能の舞台
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能楽の衣装
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能楽の普及と米沢
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江戸時代能楽は幕府と諸大名とを結ぶつける役割を果たし、諸大名にとっては欠かすことのできない教養でした。
米沢藩でも歴代藩主が能楽をたしなみ、中でも四代藩主上杉綱憲は能楽に積極的で、自ら舞うこともありました。
また、米沢城の二の丸で行われた能楽を一般庶民に自由に見せることもしました。
綱憲の時代に関係を深めた金剛流は、現在の置賜地方にその影響を残しています。

伝国の森米沢市上杉博物館を出て、上杉神社手前にある上杉城史苑に向かいます。

上杉城史苑は物産販売フロア・レストラン・カフェ・などがあり、ゆったり広い物産販売フロアでは、米沢牛・菓子・地酒から、米沢織・お鷹ぽっぽなどの伝統工芸品まで、城下町米沢を代表するお土産がいっぱいです。

以前春日山城で買った刀のストラップを落としてしまったのですがあきらめきれず、今回それを求めてやってきたわけですが、ありがたいことに見つかりました。

刀八毘沙門
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・戦国旗指物ストラップ (800円)

上杉謙信護身刀
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・上杉謙信護身刀(800円)

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ついでに買ってしまった。
ニヤ二ヤが止まりません。((´∀`*))

新潟
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越後平野ですかね。
田園風景が続きます。
さすが新潟日本一の米どころですね。

道の駅小谷鬼の厨
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長野県北安曇郡の小谷村を走る国道148号線沿いにある道の駅です。
新潟県との県境に位置し、長野県の玄関口となっています。
国道148号線はかつて、海から塩や海の幸を、内陸部からは山の幸を運ぶ「千国街道塩の道」と呼ばれ、周辺地域は様々な物産が行き交いました。

深山の湯
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深山の湯は源泉かけ流しの天然温泉です。

恐竜
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夕闇迫る温泉に何故か恐竜の親子?

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恐竜の足跡の化石が発見されたとのことで、恐竜のモニュメントが敷地にあるそうです。
妙にインパクトのある恐竜でした。

深山の湯で夕食を食べて温泉につかり帰路につきました。

事故で渋滞していた為遠回りを余儀なくされ、下道の夜道を延々と走り、家に着いたのが午前1時でした。
旦那様3日間の遠距離の車の運転お疲れ様でした。
7月に行った旅行ですが、9月の後半でようやく更新完了です。
お付き合いいただきありがとうございました。

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(Sat)19:37

東北の旅 『遠野ふるさと村』

今日から9月ですね。
昨夜は夜半から激しく雨が降り、雨音で目が覚めて慌てて雨戸を閉めました。
雨戸を閉めてサッシ戸を開けておくと風が吹き込んでわりと涼しいです。

お盆前に実家からヤマアジサイの鉢植えを貰ってきました。
珍しいことに、花が白からだんだん赤く染まっていきます。
花が終わり葉だけになったあじさいは、夏の間玄関脇に置かれていましたが、雨間に東側の居間の窓下の地面に植え替えてみました。

さて東北旅行の続きです。
伝承園を後にして、遠野ふるさと村に行きました。
遠野ふるさと村は岩手県遠野市附馬牛町にあります。
伝承園から県道160号線を北に約6km10分ほどで到着しました。
遠野ふるさと村は、遠野の昔ながらの山里を再現した施設で、江戸中期から明治中期にかけて造られた茅葺屋根の曲り家をそのままの形で移築しています。
小川が流れ水車がまわり、田畑があり、炭焼き小屋がありと、遠野の昔ながらの集落を再現していることから、映画やテレビの撮影にも多く利用されているそうです。

遠野ふるさと村
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ビジターセンター風樹舎
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ビジターセンター風樹舎には入村受付、ショップ、レストラン、ライブラリーがあり遠野ふるさと村玄関になっています。

カッパの顔出しパネル
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遠野ふるさと村  自然資料館
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遠野周辺で見られる、動物や植物を展示紹介しています。

ホンドイタチ
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リス
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フクロウ
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テン
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コノハズク
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ホンドタヌキ
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イイズナ
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可愛らしい動物中心に撮って見ました。

門前(カドマエ)
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遠野ふるさと村内マップ
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大工どん
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明治中期築。88.60坪。
曲がり家の天井にはかまど神が火の神としてまつられています。
映画『河童のクゥと夏休み』でクゥたちが泊まった民宿のモデルに使われたそうです。

山里の暮らし館
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雨風祭のワラ人形
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このワラ人形は、雨風祭りの人形をモデルに作ったものです。
高さが3メートルでこのような大きいワラ人形は、全国でも珍しいものです。

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雨風祭は、二百十日前の8月下旬に行われる行事です。
等身大のワラ人形を、男女2体作り『二百十日雨風祀』と書いた旗を揚げ、太鼓やカネをたたきながら
「二百十日雨風まつるよ。おおきたのはてまで送るよ。」
と唱えて、村境まで持っていき、人形を納めます。
二百十日ごろは台風が襲来します。
被害から農作物を守るための厄除け行事です。

川前別家
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江戸末期(安政年間)築。63.68坪。
曲がった柱と梁が使われていて、ここを作った大工さんの腕の良さがうかがわれます。
TBS系浅見光彦最終章第三話遠野編に使用されたそうです。

床の間
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おしら様や河童の木彫り、藁で作った馬などが飾ってあります。

大野どん
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明治初期築。85.20坪。
大野集落の上流農家で、曲がり家の改築の様子が判る造りになっています。
NHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』使われたそうです。

ポニー
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こびるの家
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宝暦12年(1762年)築。37.58坪。
こびる(小昼)とは遠野の方言でおやつのことです。
ここで予約をするとこびる作りの体験が出来ます。

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肝煎りの家
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江戸末期築。126.2坪。
曲がり家の集落の中では、一番大きな曲がり家です。
肝煎りとは庄屋さんのことだそうです。
NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』1,2話
東宝映画『蜩の記』では、本編中6割が村内での撮影で、主役の邸宅の設定で使用されたそうです。
岡田准一さんどちらも出演してます。

馬の『白雪』
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映画HOME『愛しの座敷わらし』に出演。

水車小屋
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金勢さま・しあわせカッパ
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金勢さまは男根の形をした御神体を祀った神の一柱です。
金精神は、豊穣や生産に結びつく性器崇拝の信仰によるものから始まったとされています。
子宝、安産、縁結び、下の病や性病などに霊験があるとされていますが、他に豊穣や生産に結びつくことから商売繁盛にも霊験があるとされているそうです。

ばったり
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ばったりは角材の一方を箱状にして、水がたまると杵が上がり、水が落ちると杵が下がり、ししおとしの原理で穀物をつく装置です。

田園風景
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堺雅人さん主演のNHK大河ドラマ『真田丸』第3話で、村内を『真田の郷』として撮影。

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稲垣吾郎さん主演の金田一耕助シリーズ『悪魔の手毬唄』。
福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ『龍馬伝』第1話。

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妻夫木聡さん主演のNHK大河ドラマ『天地人』オープニングと第1話。
妻夫木聡さんがオープニングで愛の旗を掲げて歩いているシーンはまさにこの場所です。
オープニングを動画で確認して再び感動してしまいました。

金色のコイ
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池には鯉が沢山泳いでいて、池を覗き込むとそばまで泳いできて、一斉に口をパクパク動かしていました。
中に金色のコイを見つけました。
ゴールドに輝いて、縁起がよさそうです。

村内を散策した後、風樹舎のレストランで昼食に鴨ひっつみ(650円)を食べました。
ひっつみは小麦粉を用いた汁物の郷土料理で、水団の一種です。
岩手県の北上盆地を中心とした地域で食べられています。
小麦粉を練って固めたものをひっつまんで(平たい団子状にしたものを)汁に投げ入れて作られるので、ひっつみというそうです。
うどんと比べるとかなり食べ応えがありました。
鴨肉が上にのっていました。
お汁もさっぱりしていて美味しかったので、飲み切ってしまいました。
岩手県の郷土料理を堪能して遠野ふるさと村を後にしました。


次はとおの物語の館へ行きます。
とおの物語の館は岩手県遠野市中央通りにあり、遠野ふるさと村から遠野駅方面を目指しておよそ10km15分程で到着しました。

駐車場からの入り口
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とおの物語の館
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昔話蔵
この地方にあった造り酒屋の蔵を改装し、遠野地方に古くから伝わる昔話を紹介しています。
入口に入ると昔話のパネルがずらりと並べてあります。
昔話の世界に引き込まれます。

河童淵
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天狗の衣
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座敷童
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ぬかんぼとべにざら
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花咲爺
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キツネと爺様の話・舌切り雀
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桃太郎・一寸法師
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鶴女房
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雪女の話
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とおの物語の館の玄関先に獅子踊りの方々がみえました。
駅前でSL銀河お出迎えイベントがあり、そちらで獅子踊りをした後、とおの物語の館に来たそうです。

遠野 佐比内獅子踊り
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暑い中を力強く踊っていらして、間近で見られて感激しました。
丁度反対側の遠野座の方で、語り部の昔話が始まろうとしていたので、途中からお客さんはそちらに流れてしまって、最後の方は人も少なく獅子踊りの方には気の毒でした。
佐比内獅子踊り保存会の皆様ご苦労様でした。
幸運にも見られて良かったです。

1時から遠野座で語り部の昔話を聞きました。
素朴で温かい遠野の方言で聞く昔話は、方言が解りにくいものの何となく聞いていると話は解ります。
「むがすあったずもな・・・・」で始まり「・・・ど~んどはれ」で終わる遠野の昔話。
20分間で『狐と獅子頭』・『河童淵』・『若水』の三話を聞きました。
『河童淵』の話は行ってきたばかりだったのでよくわかって面白かったです。

再びとおの物語の館に戻ります。

まるい台の上には昔話に出てくる見覚えのある小道具らが、銅で作られ飾られていました。
普通の展示物かと思い近づいて道具を触るとあら不思議。

河童淵の馬
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昔話の道具に触ると触った道具からひとりでに影が動き出し、昔話のワンシーンが浮かび上がりストーリーを短く紹介してくれます。

驚いた馬と河童の影
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これは不思議でおもしろいです。
複数を同時に触ると影が広がります。

鉢かづき姫
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鉢の中に映像が映るので、両手で水をすくうようにすると、手の中にも映像が映しだされます。

塩吹き臼
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ネズミの嫁入り
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河童の話
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河童が泳いでいる影や水音が聞こえます。

天狗の話
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天狗が飛び去る影や子供たちの笑い声が聞こえます。

そばを通ると影が動き、音声が流れる仕掛けとなっています。

他に自分で昔話のストーリーを作っていけるようなゲーム感覚のコーナーもあり、自分で選択しながらオリジナルの物語を作ることが出来、楽しみも倍増です。

体験型の映像をたくさん備えた施設となっっているので子供から大人まで十分楽しめます。
遠野物語の世界に出会い、体験し、心豊かな時間を過ごすことが出来ました。
童心に帰って昔話の魅力を再発見できた場所でした。

旧高善旅館
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柳田國男が滞在した宿で、明治から昭和にかけて遠野を代表する旅籠として知られています。

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柳田國男展示館
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旧柳田國男隠居所
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柳田國男は日本における民俗学の開拓者です。
遠野出身の小説家で民話研究科・佐々木喜善が語った遠野地方の民話を記録し『遠野物語』として出版しました。

柳田國男書斎
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旧柳田國男隠居所から赤羽蔵に通路がつながっています。
赤羽蔵は遠野産の食材を使ったオリジナルの食品をはじめ、銘菓明けがらす、どぶろく、愛らしい河童グッズなど、遠野土産の定番商品がありました。

カッパ輪ゴム掛
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・ポリ輪ゴム掛 カッパ(594円)
可愛いので記念に買っちゃいました。
緑の透明感がいいですね。

民話のふるさと遠野ともこれでお別れです。
かっぱさ~ん、さようなら~。
東北の旅行いよいよ3日目に続きます。(o^―^o)/